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瑠璃色世代の呟き -論理後回し千日記-
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団塊と全共闘世代に煽られつつ、まだまだ貧乏だったが牧歌的でもあった多感な幼少期を駆け巡った心優しき(と言われる)世代。昭和30年代にこそ現在の文化・芸能の原点があると信じる男の話を、お急ぎでない方、聞いてみてください。
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1966年松竹映画「スチャラカ社員」

2012/05/17 11:58
 BSの専門チャンネルでやっていた「日の当たらない日本映画特集」の中から「スチャラカ社員」を録画して、二度ほど見た。

 1966年松竹映画。監督は喜劇映画を多く撮った前田陽一。どこでもソフト化されていないという。当時の大阪ミナミ・難波、京都界隈の風景や、大ヒットしたマツダR360クーペはじめ日野コンテッサ、ダットサンフェアレディなど往年の名車の姿、そして今や伝説の世界に行ってしまった数多の関西喜劇人の迷演怪演ぶりが懐かしい。

 スチャラカ社員といえば1961年〜67年、香川登志緒・澤田隆治のゴールデンコンビが送り出した人気TV番組(朝日放送制作)。小学生だった私も見ていて、映画にもそのまま出演したミヤコ蝶々、長門勇、中田ダイマル・ラケットのほか、「はせくぅーん」の藤田まことと長谷百合、「ちーとも、知らなかったわ」の人見きよしらの姿を覚えている。

 映画版は、松竹ということで期待の若手藤岡弘(20歳)、新藤恵美(17歳)に加え、当時売り出し中の若井はんじ・けんじ、上方柳次・柳太、かしまし娘、宮川左近ショー、そして油の乗った時期のダイマル・ラケットら松竹芸能所属の漫才師・芸人が顔を揃えた。このほか、いとし・こいし、南都雄二、南道朗、穂積隆信、西岡慶子、三浦策郎、ビンボー・ダナオ、ミスター珍らが客演。佐々十郎、茶川一郎、森乃福郎、藤尾純、それに横山ノックの元祖相方だった横山アウトも顔を見せている。
 また、デビュー3年目まだ18歳の都はるみがゲスト出演し、名曲「さよなら列車」をフルコーラス聞かせるのも見どころである。

 主役はTV版でも活躍していた長門勇と中田ダイマル・ラケット、吉本を退社したばかりのルーキー新一。若き前田監督の演出もあるのだろうが、三者ともよく動く(動かされる)。貫禄があるがまだ若かった長門勇は、笑える水着姿でモーターボートから琵琶湖に落ち、当時53歳で太り始めていた中田ダイマル師匠は、小さなマツダクーペで公道でのハコ乗りをやらされる。師匠かなり元気でノッており、例によってとぼけた表情と身ごなし、呟きで気持ちよさそうにマイペースでやっている。相方ラケット氏がいちいちツッコまず適当に受け流したりしているのが、このコンビらしくていい。

 そして、今となっては貴重な映像となるルーキー新一。
 お馴染みの「これはえらいことですよ、これは」のギャク見せは勿論、この映画でも前田監督がしばしば用いたサイレント的というかパントマイム的演出にも、坊ちゃん髪型で泣きべそ顔で短躯ぽっちゃりのキャラクターが嵌った。吉本時代の、服の両胸のところをつまみ上げて「イヤン、イヤン」と身を捩るときの泣き顔だけでなく、慌てた表情、剣呑な表情、媚びる表情、何を考えているか分からない表情等々、表情でも芸や演技が出来る幅が伺える。
 但し、その表情には一貫して翳りがある。しくじってしまう顔、悪い運を呼んでしまう寂しげな佇まい、何かに飢えたどこか縋るような表情。そう言われればそうかなと、悲惨な晩年を知らない人でも思うのではないか。
 この映画の彼を見ていて、同じような童顔ぽっちゃりで束の間の栄光の後に同じように失意の日を過ごし遂には自死した丸井太郎さんを思い出してしまった。

 シュールなタッチと言われる前田監督。飛び交うナポリタンを頭や顔に浴びながら最後まで唸り切る宮川左近ショーをバックに繰り広げられるスラップスティックシーンや、大阪城に現れる不気味な覆面集団、水中レビューのシーンなどがそうなのであろう。

 それやこれやで、消さずに保存することになった一作である。

 
 
 
 
 
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母の日を前に―仙台で目通りした昭和を象徴する女性

2012/05/13 17:12
 新緑萌える季節の仙台は、やはり清々しい。1週間ぶりに帰省先から戻ったりすると、改めてそう思う。のんびり街歩き(人出のないときに限る)に相応しい。
 ただし、道路は気忙しさを増した。矢印信号の出た右左折レーンに居座る車には、以前の十倍もけたたましいクラクションが浴びせられるようになった。過剰とも言えるほど歩行者優先が定着していた交差点の横断歩道では、右左折車が横断者のちょっとした切れ間を縫って駆け抜けるようになった。
 私には震災を境にした変化と思えるが、そうであるにせよないにせよ、一旦失われた美風が復活するのは難しい。

 12日、天皇皇后両陛下が国際会議出席のため仙台入りされた。昨年4月以来の訪仙ということだが、被災地を熱心に回り励ましの言葉を掛けられていたのが、ついこの間のことのように思える。震災からもう1年2カ月経ったのである。
 今回もご意向により仮設住宅を訪ねお見舞いされるという。天皇にとっては冠動脈バイパス手術後初めての地方行幸。責務お役目を全うされる御二人の真摯なお姿には頭の下がる思いである。

 当日、仙台は日差しはあるものの強い風が冷たかった。
 3人で家の近くの県庁前を歩きながら。妻と娘は「ここで待っていれば会えるね」と話していたが、母の日の祝いの菓子を実家に贈ったり用事を済ませながら15時頃差し掛かった青葉通りで、制服私服の警官たちに導かれながら歩道に集団を作る人だかりに遭遇した。
 ここを通り、東二番丁通りに入って県庁に向かうのだなと暫く見ていると、白バイやパトカーが何台か通過し、まもなく両陛下の車が通ると知れた。
 
 立ち止まる人が増え、バーとコーンで仕切られた歓迎スペース?が拡げられたのを機に、3人で人並みに加わる。「子供さんがいたら、なるべく前に」という警官の声に促されて娘が最前列の一隅を与えられ、私と妻がその後ろに立った。近くに立つ婦人が隣の人や娘に「これを振ればお目にとまるのでは」と、携えていたカーネーションを何本かずつ配ってくれた。
 広い歩道、どこでお迎えしてもよさそうなものだが、「固まっているところでは、車が速度を落とします。そうでないところはスーッと行ってしまいます」と警官。一方、道路と歩道を仕切っていたバーを除けた後は「くれぐれも飛び出さないように。お車が急停車、急転回することになります」と繰り返す。ほかにも「ペットボトルや缶は手提げの中に」等々注意事項は多いのだが、なんとものんびりした口調物腰が寒空に立つ身を思わず和ませる。土地柄というものだろうか。警察がこれを意識してやっているのなら感心するが。

 ほどなく、我々の眼前、一般車の消えた路上を車列が通過した。少しも速度を落とすことなく。3車線の一番向こう、距離にして10bほど。
 しかし、こちら側の席から頬笑みを浮かべて手を振られる皇后さまのお顔を、束の間ではあるがはっきり拝見できた。甚だ恐縮ながら、ニュース映像等で知る以上に色白で小さなお顔だった。
 
 私は天皇制や皇族のあり方などについてこれといった思想的見解を持ち合わせていないので、卑小な感性と言われてもやむを得ないが、私が7歳のときにご成婚された美智子妃殿下は、自分にとって気品と聡明さと慈愛を併せ持った空前の存在であり、気高さを失うことなく苦難を乗り越えて歩んでこられたお姿は、私が半生を過ごしてきた昭和という時代を体現し象徴する、「もう一人の母親」とも言うべき存在であった。
 「子供さんを前に」と言った警官は「滅多にある機会ではないので」と続けていたが、私にとってもガラス越しとはいえ直に拝見した最初で最後の体験となるだろう。苦手な人ごみを縫って歩き回った家庭サービスへの見返りかと思っている。
 
婦人が娘に持たせてくれた黄色いカーネーションの花が、今も可憐な姿でリビングテーブルのコップに浮かんでいる。

 

 
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よくやっているのでは―俄かウォッチャーのベイスターズ評

2012/05/10 03:36
 シーズンの5分の1を超える30試合を消化したところで、初めてベイスターズを俎上に載せたい。新生チームということで個人的関心を高めた俄かウォッチャーの発言故、熱心な横浜ファンから見て的外れなところがあれば、お許し願いたい。

 9勝18敗3分という数字は、チームにとってもファンにとっても不本意だろう。しかし私は、たまたま5試合負けなし、8日のジャイアンツ戦では6点ビハインドを7対7の引き分けに持ち込んで中畑監督雀躍という好調時に書き始めたから言うのではないが、チーム力からすればよくやっている方ではないかという印象を持っている。
 今後も連勝もあるだろうが、連敗はそれ以上にあるだろう。9日の試合のように先制しながら引っくり返される試合も、大差の完敗も、追い上げ届かずの試合も、また過日喰らったノーヒットノーランに近い、投手に完全に抑え込まれるゲームも繰り返されるだろう。個々の選手の力量不足もさることながら、ベテランと若手がうまくかみ合うまで至らない過渡期のチーム状況。調子の波は大きく、かつ沈む波が勝るだろう。
 
 それでも監督・コーチの熱さは衰えず(疲れの色もあるが)、選手も与えられる機会をものにすべく頑張っている。
 開幕後しばらくは森本、金城、小池、中村らベテランが打線を引っ張った。彼ら(中村を除く)の調子が落ちてどうなるのかと思っていると、筒香と吉村が戦列に復帰。打線の体裁が整うと同時に得点力が高まった。ラミレスが本調子になれば、さらに迫力が増すだろう。
 投手陣では、勝ち星は上がっていないが国吉がほぼ一本立ちし、三浦もモチベーションの高さが結果を引き寄せている。中継ぎ陣も予想以上に健闘している。
 中畑監督以下、高木ヘッド、友利、白井、二宮らのコーチ陣には一体感が感じられる。選手を競わせ見極めるため頻繁に1、2軍の選手を入れ替え、試合ではオーダーをあれこれやりくりし、盗塁・エンドラン・バスターを積極的に使ったりと動きまくっているが、いまのところ暴走感や上滑り感はない。

 そうは言いながらも8日現在、チーム打率2割1分1厘、同防御率3.57でいずれもリーグ最下位という数字に明らかなように、チーム力、そして若手を中心とする選手個々の力量は、まだまだ上位チームに及ばない。打線をとっても、中畑監督のコメントの中に「プロのバッターとは言えない」という評があったように、ボール・ストライクの見極め、狙い球の絞り、カットしての粘り、投手との間合いの駆け引き、進塁打やゴロを転がす意識といった基本的なところがまだ出来ていないのが実情だ。
 また、監督・コーチに比べ、選手のテンションや躍動感は大人しく感じられる。ベテランは淡々としていていいが、若手からは懸命さは伝わってきても、力及ばず結果の出ない多くのプレーに対する悔しさみたいなものは伝わってこない。
 そこに私が感じるのは、外様が多いベテランと緊張萎縮気味の若手をつなぐ中堅選手の不足と、グラウンドに活力を引き出し、ベンチとの意思疎通が図れるリードオフマンの不在である。キャプテン石川選手にその役目が任されているのだが、彼はいま、思わぬ不調の波を脱することが先決である。

 野球をよく知っていて、情理を弁え、上にもモノ申せるような選手というと、昨年まで主として楽天イーグルスウォッチャーだった身としてはある元選手の姿が思い浮かぶが、言うと繰り事の類い。もう少し、ベイスターズの個別の話を。(かなり独断が入ります)

 まず投手陣。一見して即戦力左腕が不足している。
 国吉投手は今やローテーションの中心。長身から投げ下ろすストレートは常時140`台、力を入れれば150`。まだ二十歳。鍛えていけば、普通に投げて145、6`はいくだろう。変化球はカーブ、スライダー、フォークがあり、右打者の懐を突くとナチュラルでシュート気味となる。
 この内角の球を「打たせて取る」「ファウルさせてカウントを稼ぐ」「外のスライダーの布石とする」それぞれの意図で投げ分ける制球と駆け引き、さらに外角いっぱいの微妙なコントロール、そしてスタミナが今後の課題。将来的にチェンジアップかツーシームが持ち球に加われば、エースとして持続的な活躍が望めるのではないか。
 高崎投手も生きのいい球を投げるが、変化球とりわけ外の球が決まらないと組み立てに苦しみ、四球で自滅か、ボールが集まるところを痛打されるということが多い。安定した成績を残すためには一にも二にも細かい制球力が課題。フォーム面に、いまの忙しいリリースをもっと球持ちを長くする方向で改造を加えることも考えていいかもしれない。

 この二人に、ベイスターズの顔たる三浦と、大体ゲームを作れるジオ、そして左腕ともう一人でローテーションは回っている。三浦は週1登板なので、先発要員6人は妥当なところ。
 三浦は相手関係と試合の流れ次第で10勝ぐらいは期待できると思うが、球種も少なく、タイミングが合ってしまうと打ち込まれることも多いと思われ、同数の負けも覚悟しなければならないかもしれない。
 左腕は昨年オリックスから取った山本省吾が当初起用されていたが、現在はレイズ、ドジャースを経て昨年ベイスターズ入りしたブランドンが使われている。まだ未勝利。三振も取れるが、与四球も多い。よくなる可能性はある。00なんていう背番号を付けられた藤井秀悟の戦列入りはないのか?
 6番目の先発は、4年目の小杉がこのところ務めているが、結果が出ない。実績のある清水もいるが、同型の右腕が多い中でどうか。

 リリーフ陣は加賀、小林太志、日本ハムを戦力外となって入団した菊地がそれなりに安定しているが、頻繁に使われるため覚えられてしまう嫌いも。左のワンポイントあるいはショートリリーフの篠原も、流石にソフトバンク時代の迫力はないが頑張っている。右腕はほかに加賀美や江尻もいる。左がもう1、2枚ほしいところだが、大原ぐらいしかいないのが実情。
 三浦、ラミレス以外では唯一の億円年俸プレーヤーであるクローザーの山口は、滑り出し不調だが、少しずつ上向き気配、と思いたい。

 そして打線。こちらは、左右バッターの年代的偏在と、タイプ的個性の薄さ未熟さが顕著だ。
 右打者はラミレス、中村、小池、森本に渡辺直人や一輝、後藤を加えるとベテラン揃い。吉村ももう10年選手であり、若手の右バッターというと山崎ぐらいとなる。
 これに対して左バッターには若手がずらり。内野に筒香、石川、梶谷、外野に荒波、下園、啓二朗、内藤。もう若手とは言えないが藤田内野手も左。左のベテラン代打要員とすると、両打ちの金城選手ぐらいだろう。
 
 この左打ち若手陣がベンチ入りと定位置取りへ競争している訳だが、どうもドングリの背比べ。個性が際立ってこない。シュアー、スラッガー、小技、くせ者、意外性、食らいつく執念、好機に強い―といった形容詞で人と一味違うところを見せるべく、モチベーションの持ちよう、セルフプロデュースのありようをもっと考えてはどうか。
 石川選手はオリックスの後藤二塁手の線でいけると思うが、現在不調の霧の中。長打に気が入っているのか、擦って上がる打球が目立つ。ボールの見極めも出来ていない。大リーグを渡り歩いて今年横浜入りしたサラサ―選手が9日、石川選手の後に入り、来日初安打とタイムリーの2安打を放った。渡辺直人を欠くいま貴重な右の内野手であり、当分彼が二塁手として起用されることになるのだろう。
 藤田選手はトータルの安定感で抜けているが、2番バッターとして使われるのであれば、四球と盗塁が少ないのが課題となる。
 梶谷選手は大型遊撃手ということになるのだろうし、スイングを見ても本人もその気のようだが、それはそれとして、また三振の多さは別として、使われるためには守備をもっと上達させることが先決だろうと思う。
 トップバッターとして着々と実績を積むセンター荒波選手には盗塁数も見込める。三振をもう少し減らして粘っこさを加えられれば。
 下園選手は、一昨年シーズンに131試合で2割8分6厘をマークしたシュアーな打撃に磨きをかけることが、レギュラーへの早道となるだろう。
 スラッガーとしてレフトかファースト取りを目指すべきだと思っているのが、内藤選手。オープン戦で垣間見た程度の直感に過ぎないが、私の隠し玉と勝手に名指しさせてもらっておく。

 いずれにせよ確実なミートが求められる打撃陣。プルヒッターだった石嶺コーチだけでなく高木ヘッドコーチが左打者の指導に加わることで、若手の底上げが図られるのではなかろうか。

 そしてこれらとは別に二人の選手。
 まず主軸のキーマンとして、派手に復活の狼煙を上げた吉村選手。
 ポテンシャルは既に実証済みだが、長打同様荒さも健在。5日の中日戦、第1、第2打席の本塁打に続く第3打席、高めの明らかなボール球に手を出しての三振が気に入らない。9日の読売戦でホールトンに喰らった3三振も気に入らない。四球選ぶのも、打席で修正・工夫するのも主軸、そして一流選手の要件。2本・2安打で満足していては仲間入りは覚束ない。かつては3割打ったこともある。6番で振り回すだけでなく確実性を増して3番を任せられるようになれば、筒香を4番か5番に置く打線の選択肢も拡がるというものである。取り敢えずは2割7分、20本、80打点をクリアして第二のステージの足掛かりとしてもらいたい。

 最後に黒羽根利規捕手。オープン戦で果敢に内角を要求するリードぶりが印象的だった。戻った鶴岡捕手が多くマスクを被ると思われていたが、今や成長株から主戦へ。中畑監督の攻めの姿勢ともシンクロするのだろう。私も「外角に逃げるばかりではベテランバッターの餌食」が持論なので、内角攻めでのけ反らせたり、見逃させたり、打者に迷いが出たり、外角スライダーとのコンビネーションが威力を増したりする様を見ると小気味よい。
 打率は上がらないが、右打ちもかなり上達し、ここぞの時の集中力と状況判断が頼りがいのある打者に成長しつつある。何年か後、リーグを代表する捕手の仲間入りするのでは。

 あれもこれも、感じるままダラダラと記したが、私としてはシーズンを通じての選手・チームの成長と変貌が楽しみな一方、的確な戦力分析を踏まえて今後どういった補強が加えられ、どういったチーム作りがなされていくのか大きな関心を持っている。
 だから親会社には、満足度や勝敗による入場料の払い戻しのような発想の貧しい、スマートさやウイットの欠片もない営業政策ではなく、しっかりしたチーム作りのために野球を知り、投資に躊躇しない姿勢を望みたい。
 

 

 

 
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この裁判に勝者はいないと朝日。国民を被害者にしたのは誰だ

2012/04/28 02:15
 「往生際」という言葉がある。

 人間の根源的な営みと業に目を凝らし、実験的手法も積極的に取り入れた監督作品48本。聞けば誰もが知っている有名作品を中心に脚本数280本。「これが最後。でもまだ撮りたいものがある」と呟きながら作品を重ねてきた新藤兼人監督が、百賀を迎えた。飽くなき創作意欲に執着や未練の曇りはない。まだまだ往生には遠くして、見事な「際」である。

 苛烈な排除運動の風前に政治生命の灯を晒しながら「最後の仕事を」と使命感をかき立てる小沢一郎氏にもまた―旧時代の政治家の最後の生き残りとして退場往生を求めるマスコミの合唱もものかわ―得心のいくまで拘る見事な「際」をみせ古希を迎えて欲しいと私は思っている。

 そしてそのマスコミにこそ、往生際に掛かる言葉「よくない」を奉ろう。

 朝日新聞27日付1面肩(13版です)、小沢氏無罪判決に関する社会部長の署名解説記事。後付けの検察批判は常套であり、無視する。「限りなく有罪に近い無罪判決」という表現も、これまでの彼らの報道ぶりを考えれば止むを得ないかと理解できなくもない。
 しかし、体質と分かってはいても、自己弁護と自己満足には鼻白む。
 
 検察審査会に対する「特定の人物を狙い撃ちする暗黒裁判」との批判に、「無作為に選ばれた有権者が証拠に即して起訴すべきかどうか話し合う場であり、私刑場にはなりようがない」と反駁するが、そもそもその証拠なるものが証拠にもならないようなものを都合よく色づけした出鱈目なものだったことは、どう位置づけるのか?そこが岐路であり出発点でもあったのに、そんな官僚作文のままの了解でよかったのか?
 強制起訴がなければ小沢氏自身が説明する機会もなかったし、検察のきわどい取り調べも露見しなかったはずという論理に至ると、これはもう詭弁と言うしかあるまい。

 この部長氏もかつて検察回りをやったらしいが、今回の件で一線の記者たちは検察内部に全面戦争派と慎重派があることを掴み、悩みながらも慎重な報道に徹したらしい。それでも内外から検察寄り、有罪視などと批判され、また悩んだらしい。
 掴んだのはそんなこと?それだけ?まだあるでしょう、書かなかったことも書けなかったことも。悩みながら慎重に徹したという報道があれだとすると、酷いね―というのが私の見解である。

 解説は結ぶ。「批判を正面から受け止めたうえで、捜査当局を含むあらゆる権力機構に監視の目を一層光らせることこそが、私たちに託された課題である」
 詮無いことだが言いたい。
 いや、託された課題なんかじゃなくて、そもそも課された責務でしょう。やらなくてはいけないことでしょう。批判は今後受け止めるのではなく、渦巻いたときに熟慮してもらいたい。

 「往生際」に戻る。
 社会部長は言う、「この裁判に勝者などいない」と。
 私に言わせれば、勝者はともかく、政治生命を縮められた小沢氏は被害者であり、主としてこのことにより政治的空白の只中に置かれた国民はそれ以上の被害者である。
 この裁判の不毛さに言及しない朝日(はじめ他紙も同様)の総括は、やはり往生際が悪い。

 (追記)
 同日の朝日は2面トップ位置でも政治部長名で論説をかざしている。
 一裁判で司法が下す無罪か有罪かの判断で国家運営の基盤を成すべき重要法案の行方が変わったり、時の権力の力が浮き沈みしたり、立法と行政が振り回されてしまう現実がおかしい―とくると、不毛な裁判は過去のものとして既に今後の国政を見据えているかのように見えもするが、よく読まなくとも、言いたいことは小沢氏が復権し影響力を行使することがあってはならないということと、重要法案即ち消費増税を頓挫させてはいけない、成立前の総選挙はいけないということだと、すぐ分かる。
 
 何というか、分かりやすいというか、単純というか。政治記者間にもいろんな意見が渦巻いているのだろうが、いずれにせよこれが政治部の公式見解ということなのだろう。
 振り回されるなと言いながら、紙面の隣や周辺に「厳しさ増す政権運営」とか「官邸沈黙」とか政局絡みの見出しが躍っている様が失笑ものだが。笑ってばかりもいられない。
 
 政治部長氏は「市民感覚に根ざした政治を合理的に」と語りつつ、非合理的で感情的な政党否定論と救世主待望論が世間で起きるかもしれないことを危惧している。
 それが消費増税を巡る政界再編や橋下勢力の躍進を指すことは明らかだが、朝日から見てそれは市民感覚ではなく衆愚であるらしい。例え反対が6割以上でも増税断行すべきであり、それを導くのが役割と思い定めているらしい。
 思い上がっているのみならず、危うい。
 

 

 
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政治空白取り戻せるか小沢氏無罪

2012/04/26 15:38
 これまでの経緯を見るに万に幾つかは有罪の怖れもと危惧していたが、無罪判決が出てみると、当然と言えば当然の帰結ということになろう。
 
 秘書による虚偽記載はクロ、小沢氏の共謀は認められず(状況証拠だけでは立証できず)無罪―。
 虚偽なのか記載漏れと期ズレなのか―どちらにしても形式犯なのだが―その点を巡る論議は元秘書で現職国会議員らの逮捕という異例の捜査手法で強引に押し切られた。それは今考えても、小沢氏の指示・共謀関係があっただろうという本丸に至るために不可欠な道筋でもあったのだろう。
 虚偽記載にせよ記載ミスにせよ「秘書のやったこと。知らなかった」というコメントと罰金でこれまで済まされてきた政治資金規正法絡みの案件。いちいち当の議員との共謀関係を俎上に上げていたら何十件ではきかない。そもそも起訴まで持ち込む、あるいは持ち込める類のネタではない。少なくとも現下の法制では。
 そこを、金額の大きさと違法献金の絵図を頼りに無理筋をごり押しし、それでもなお検察として二度起訴を見送らざるをえなかったものを、検察審査会を使って強制起訴に持ち込んだ。
 最近発覚した前田国交相・元国交省事務次官の公職選挙法違反が「自筆の署名はしたが、そんなこと(特定候補者の応援依頼)に使われるとは思わなかった」という言い訳で問責だけで済まされたのと好対照である。

 マスメディア寄ってたかっての反小沢キャンペーンは、ポピュリズムの醸成誘導に一定の成果を見せたようではある。度を超した偏向が却って起訴の特異性を際立たせるとともに、背後に潜む特定の意図を伺わせて、政治への関心の有無高低を問わぬ幅広い層にネットメディアなどを中心とした論議が巻き起こることがなければ、或いは意図通り小沢氏の抹殺が成就していたかもしれない。
 
 だれが見ても無理、おかしいと事実があぶり出されたことで暗黒史の1ページは葬られたが、判決文には一部関与を示唆する一節もある。いろいろ問題点が指摘される検察審査会による強制起訴も適法とされた。小沢氏パージの手がこれで一挙に緩むとも思えない。これまでに被った政治活動上の痛手も大きい。小沢氏個人に対する評価は様々あるとして、国とマスコミによるこんな形での断罪があり得るということは、怖ろしいことである。
 
 判決を取り上げ、マスコミはここぞとインサイドストーリーを連発し、政局や消費税増税に結びつけた劇場型報道に励むことだろう。政治資金規正法の壁を一人小沢氏無罪に象徴させるような記事も当然出てこよう。ここまで報道としての自殺行為に手を染めてきたマスコミが、「無罪」で我に返るとは思えない。

 少なくともここ2年の政治空白と不毛の責任の過半はマスコミにある。
 この間に大震災に見舞われたのも悪い巡り合わせだったが、いままた原発再稼働、消費税増税、TPP問題を前にマスコミのミスリードは上塗りされるのか?
 それとも今回の判決を契機に、空白を多少なりとも取り戻せるムーブメントが湧き起こるのだろうか。
 

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真っ当な声

2012/04/15 23:17
 他人様の褌で相撲をとって恐縮ですが、敢えて。
 
 消費増税の進められ方に疑問や不信をお持ちの方、戸惑っていらっしゃる方は是非、13日付朝日新聞「声」欄に掲載された投書「新聞は財界にこそ注文せよ」をお読みいただきたい。
 その1週間前に掲載された朝日の社説「消費増税と政治 言い訳やめて、本質論を」を取り上げ、決められない政治は日本のリスクだと増税断行を説く論旨を、「思い上がり」と両断したものだ。
 投稿者は私より一回り少し年長の無職の方。私も3月末の同紙の同様の社説を最近のブログ記事で批判したが、経緯を整理しながら見解を織り込むため冗長になってしまう拙文に対し、▽国民の多くが反対するのは「再配分論」が欠落しているため▽消費増税が入り口とする文脈は理解不能▽新聞は国民に国への貢献を説く前に富裕層や大企業に貢献を求めるべき―と、極めて端的に真っ当な国民の声を代弁されておられることに敬服した。

 朝日が国論・社論と対立する声を併記的に取り上げるのは常套だが、「財界にこそ注文せよ」なる見出しは、意図してか否かズレている。「強引に決める政治への警戒感」なり「理解できない入り口論」といったところが真っ当というものだろう。

 そもそも、ここで取り上げられた「増税批判に対する見解」と称する6日付の社説は、キャンペーン企画記事と言った方がいい代物である。
 まずムダの削減や経済の立て直しが必要という多くの声に対し、それでは何をやるかではなく順番を争うばかりの堂々巡りになる。「まずは」というのは不毛な政治の枕詞、と切り捨てる。「不毛」という言葉を使ったのが20年も30年もさんざんそれを見てきた幹部・ベテランクラスなのか、経済部出身の論説委員なのか、現今の児戯に等しい不毛しか知らない世代なのか、知りたいところである。
 そして、増税も経済の立て直しもムダの削減も同時並行で答えを出さなければならないと、例によって逃げ道確保の但し書きをつけたうえで、再配分の制度を根幹から作り直す入り口が増税であり、その入り口で先送りの言い訳のような段取り論でもめてはいけないと断じる。
 再配分論不在の増税が不毛であり欺瞞であるとする反対論を前にして、投書氏の言われる如く理解できない文脈である。同時に、多数の反対論を段取り論扱いするのは、これも投書氏の仰るとおり思い上がった姿勢である。

 小沢氏排斥キャンペーンで世論?の醸成・誘導に味をしめたのだろう。思い上がった言説は総選挙にも及ぶ。
 曰く―自民党はじめ多くの政党、小沢グループも含めた多くの政治家が増税の必要性を認識している。その中で総選挙を急いで何を争うのか。民主・自民どちらが勝ってもはっきり白黒はつかない。民意を読み解くことすら難しい。有権者の審判は増税を決めた後に仰げばいい。民主党の公約違反の責任はその時取ってもらう―。

 確信犯的暴論と言うしかない。
 いまや増税と原発稼働とTPPだけが存在意義となった民主党が、これらを強引に決めた後たとえ壊滅したとて、責任を取らされたどころか誰も痛くもかゆくもあるまい。国民にとって何の足しにもなるまい。残党は自民党と連立なり合同なりして、職業政治家として幾多の政党を作り渡り歩いてきた経歴を1ページ加え、法案の実行を進めるだけのこと。
 そうなったら、それを望まなかった多数の国民に対し、そんな法案を成立させてしまった責任は誰が取るのか。マスコミは「これでよかったのです」と言えば済むのか。
 法案の可否を巡って民意を問えば、橋下維新の会に限らず第三極が現れたり、政界再編が進んで、増税に反対する国民の声に応えるムーブメントが高まる可能性がある。成立後総選挙論は、性急な増税の功罪と政府予算の将来設計を今一度考えてみる機会を無条件に排除するものだ。それがもともと狙いなのだということなら、悪質である。

 
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3.11の検証・教訓は?原発再稼働「ありき」、増税同様の前のめり。

2012/04/11 02:15
 カン違い気味の経団連会長に煽てられて財界に泳ぎ入ろうとしているかのような“泥鰌”総理と、官僚を敵に回すことの愚を弁え、その官僚の作文すら凌駕するような空疎巧妙なコメント能力を手に今や“言うだけ番長”として本家本元を凌ぐ経産相の下、大飯原子力発電所3、4号機の再稼働は既定路線といえよう。
 両機が復帰して戦力として機能することになれば我々は、関西電力管内の夏期供給力は本当に足りなかったのか、夏の甲子園をクーラー全開で見ることを控えるぐらいでは追いつかなかったのかを知る機会を失うことになる。同時に「安定供給」という御旗が大口需要家と一般家庭のどちらを向いて立てられ、どちらがより恩恵に浴しているのかを考える機会も。

 3日で作った俄か仕立ての暫定安全基準というのは、いかにも今の民主党的で嘆息ものだが、仮に3カ月半年時間をかけたとしても同じレベルの代物しか拵えられまい。曰く、全電源が失われない対策、冷却機能を維持する対策、即ち福島第一と同じことが起きないように施す対策。深遠かつ壮大である。どこまでやれば有効なのか?それを誰がどう判断するのか?
 
 これに対して関西電力がこれから実施する安全対策の工程表に記した具体策―発電所常駐要員の増員、防波堤かさ上げ、外部電源として使う送電線の多重化、専用建屋内への非常用発電機設置、フィルター付きベント設備の設置等々―を見れば、暫定安定基準とこれに基づく判断がいかにお題目、外向けの手順に過ぎないかがよく分かる。
 これまでに実施されていなければおかしい措置、後から出来ることというとこれぐらいかとも言える対策であり、要は現状追認。事業者も安全保安院も大丈夫と言っているから暫定基準におおむね適合と素人閣僚が確認し、1日2日挟んでありがたい政治判断が下されるという訳だ。経産相は「必要性がなければ再稼働という判断はしない」と電力需給状況も加味して判断するとしているが、これは彼一流のレトリック。「電力不足ということなら(安全性も確認されたことだし)再稼働させますよ」と宣言しているのである。

 そんな「再稼働ありき」の動きではあるが実際問題としては、比較的新しく、これまで大きなトラブルも起こしていない大飯3、4号機が再開後順調な運転を続け、稼働率80〜90%の安定性を示す可能性はある。
 定検時や補修工事時の放射線管理、ならびに下請け作業増大に伴う単純ミスの増加といった要素を別にすると、平時の原子力発電所はハンドリングが容易で、かつ電力会社と産業界、立地自治体とその住民に費用対効果による恩恵をもたらす。このベースロードとしての安定性とCO2削減効果が原子力のレゾンデートルであり、核燃料を扱う漠然たる不安を一定程度払しょくさせてきたものだった。大飯が安定運転を続ければ、忘れっぽい国民の間にそうした空気が僅かずつでも戻ってくることも、推進派が再び力を得ることもあるかもしれない。

 しかし、忘れてならないことがある。3.11大震災で我々が原子力の非常時、クライシスを知ってしまった。そして、電源と水を失っただけでどういうことになるか、核燃料の溶融がいかなる放射線世界をもたらすか、普段の生活ひいては故郷を失うということがどういうものなのか、体験・見聞したという事実である。
 原子力発電所が通常運転を維持すること自体は現在、さほど難しいことではない。しかし、たとえ過去千年間に大地震・津波の記録がないとしても、活断層が認められないとしても、世界各地で頻発している大地震・津波の可能性を排除することはできない。
 リアス式海岸が美しい若狭湾における津波被害はどのような規模になるのか、一次系と二次系が分離しているPWRで冷却水喪失はいかなる挙動と影響を示すのか、大都市圏や琵琶湖を控えた地理的状況がどれくらいの被害をもたらすことになるのか、想像想定の域を出ない。3.11はそうしたことをこれまで以上に考えていく契機とすべきものではないのか。

 私が思うのは、3.11以降の原子力に関して発せられる言葉・意見・主張・姿勢はすべて、その福島第一原子力発電所の事故事象を踏まえたものでなければならないし、そう見なさなければ、またそう見なされなければならないということ。
 依然原子力発電の必要論や優位性を主張する官僚・政治家・学識者も、低廉かつ安定的な電力供給がなければ産業空洞化を招くと嘯く財界・産業人も、原子力発電コストが最も安い、原子力発電所が動かないと燃料費が嵩むし需給ひっ迫を招くとする電力業界も、そうした主張を後押しするメディアも、そして今や原発と暮らしは不可分と語る立地自治体と住民、また我々にも影響も発言の権利もあるとする周辺自治体も、「福島第一で起こったことと、その後の状況は踏まえた上での発言ですね」という問いかけを重く受け止めながらモノを言う義務と責任がある。
 そして、脱原発の旗幟をこれまで以上に鮮明にした人も、ノンポリ・無関心から一歩踏み出した人も、180度方向転換した人も、3.11と直後を中心とした鮮烈な衝撃を冷静に止揚し、情念の殻に籠らず、より具体的に原子力に頼らない文明と社会生活のあり方を語っていくことが求められよう。

 首相、経産相はじめ閣僚、議員諸氏にもそんな重みを感じながら原子力政策、電力エネルギー政策の方向性を深く考えてほしいのだが。



 
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やはりいま、消費税増税は受け容れられない。

2012/04/07 02:30
 前提が100%とは言わないまでもある程度納得できるレベルを満たすなら「消費税増税はやむを得ない」と考える国民は、相当数に上るのではないか。私もそこに数えてもらって差し支えない。特段条件を付けずに税率アップに賛同する向きと合わせると、過半を超え大多数の域に達するかもしれない。
 
 では何故、新聞メディアの世論調査でさえ、今回の増税に反対の意見が賛成意見を凌ぎ55%以上に達しているのか?私j自身も反対なのか?
 それはやはり、前提とすべき部分が甚だ不十分と考えているからだと思う。

 前提というのは、再引き上げの条件として経済成長率を数字で示せというような論議のことではない。増税はしたもののまたまた同じ道を辿るようなことのないよう、歳入・歳出それぞれについて現状の精査と検証をもっと徹底しておくべきではないのかということだと考える。
 歳入は何故頭打ちなのか?現行税制に不平等・不均衡はないのか?ほかから取るべきところもあるのではないか?歳出はもっと抑制できないのか?無駄に眠っている予算、無駄に使われている予算の洗い出しは十分なのか?公務員の人員・給与は適正なのか?議員は多すぎないのか?貰いすぎではないのか?

 朝日新聞は社説で、▽財政悪化の最大の原因は社会保障費の膨張▽歳出削減にも限界があり、埋蔵金も底をついてきている▽10兆円を超す積立金を持ついくつかの特別会計を活用しても一時しのぎに過ぎない―とする一方、▽景気回復を待っている間に借金は積み重なる▽国債の大半を国内投資家が持っているといっても価格下落と無縁ではいられない。イタリアの例もある▽国債の価格が下がれば金利が上がり、企業を圧迫。労働者の給与・雇用に影響を及ぼす▽英国も財政再建に着手した。市場に追い込まれないうちに財政再建すべきだ―と増税反対派に説いているが、この認識と論旨は表層的かつ脆弱で、「いま取るものも取りあえず直ちにやろう」という独断専行を、少なくとも私には到底納得させられるものではない。

 ではどこまで検証するのと推進派は言おう。確かに手間と時間ののかかる作業であり、抵抗軋轢もある。直ちに全容と問題点が明らかにされるような低いハードルではない。しかし、税収規模が膨らむだけで、税金は誰の為に使うのかを失念した国の収奪分配システムが見直されることもなく、結局財政健全化は遠いままという事態=まさにこちらの方が「次代にツケを回してしまう」ことにほかならない=を避けるためには是非とも必要なことである。

 そうした国民の意識をよそに、一体として論議すると謳われた社会保障の具体的施策は等閑にされ、公務員改革や議員定数削減もいかにもお座なりなまま。理念も具体的展望も置き忘れ、「待ったなしの状況。先送りせず決める政治を」と政府、経済界、マスコミ挙って結論だけを急ごうとしているのは、まさに消費税増税が財政再建の方法論ではなく目的化している証左と言うしかない。

 本人以外にはたいして有難味のない己の政治生命をかける、命がけでやると簡単に言い切る人間。傍からはこれまで何をしてきたか俄かに思いつかない彼の政治生活の、また(職業)政治家としての集大成としてやり遂げると豪語する人間。君子とは誰のことと容易に突っ込まれつつ「君子豹変」をお手軽に口にしてしまう人間。何より、震災津波からの復興を美辞麗句で語る一方で、福島第一の原子炉温度がある程度下がったことで「事故は収束」と軽率に言ってしまう人間。また成立をめざすTPPに関して「日本はポール、米国はレノン」とお気楽なビートルズ例え話を真面目くさって得々と開陳する人間。
 そんな首相が志士を気取り、大局と不退転を口にし、「国民が嫌なことでも苦しいことでも、やらなくてはならない」と高揚する。法案成立後に解散して民意を問うと、理解に苦しむ姿勢で昂然とする。
 正直、何が彼をそうさせているのか、よく分らない。中身の空洞を埋め経歴の貧弱を覆う一点豪華業績主義的功名心?初めて見たものを慕う本能と業?掛け値なしの盲信?
 言えることは、もう引く気はない、後戻りは出来ないということか。彼にとっては乾坤一擲、一世一代の晴れ舞台と言うことなのだろう。

 そして、増税に突き進む財務省始め官僚組織と経済界にとっては、野党不在即ち、現在野党の自民党がもともと唱えた政策を、民主党現執行部がマニフェストを反故にしてまで金看板に掛け替え、妥協と駆け引きをしながらも両者で同じゴールを目指すという状況が生まれたいま、そして野田佳彦という得難い旗振り役が前面に立ち、本籍大蔵省の谷垣自民党総裁がレシーバーを務める今がまさに千載一遇、次はいつ回ってくるか分からないチャンスという訳である。
 
 さて、そうした談合国会で大勢が傾こうとしている今のような状況にあるときこそ、「本当にそれでいいのか」と野党的役割を本来は果たすべき新聞メディアだが、やっていることは自殺行為に等しい翼賛の片棒担ぎである。
 増税に疑義を唱え、マニフェストの遵守を訴えて抵抗する民主党議員の動きを造反レベルに矮小化する。反対するのは小沢系議員ばかりではないはずだが、小沢グループとしての政局的動きにこれも矮小化して報道する。彼らにむしろ大義がとの捉え方もできると思うのだが、自らが強力な増税推進者たる各紙にとっては目障りな存在でしかないようだ。これも朝日の社説だが、増税を公約した代表を選んでおいて反対するとは政党政治ひいては民主主義を損なうものとまで攻撃を加える。増税しないというマニフェストを頼りに国民から与党に選ばれた民主党の変節はどうなる?

 新聞がなぜ消費税アップを後押しするかについては過去にも書いたが、あらためて新聞が資本の側、企業の立場にいることがよく分かる。特権既得権の死守と一流企業としての存続こそ第一義と考えていることが明らかである。
 不偏不党・客観報道は今や死語。誰もそんな幻想は抱かず、むしろ是非賛否いずれかの立場に与する権利はあると思うが、報道の最低限の基本すら忘れ、為にする言説を振りかざしてなりふり構わず己の側の後押しに奔走するなら、公器(と称するだけでなく、そうあるべきもの)の私物化と言われても致し方あるまい。
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ある日の育爺派出夫

2012/03/30 16:56
 AM9:00 風は冷たいが、春の日差し。病院まで30分余りを歩く。少し眠い。
 
 今朝は妻がなかなか起き出さないので、6:30には床を出て、代わって昼の弁当を詰めてやった。残り物と冷凍食品、卵焼きは手作り。8時前に妻が出勤の途に就いてまもなく、春休み中の娘が起きてきた。パンと野菜ジュースで朝食を摂らす。私は普段だと前夜の味噌汁の残りでおじやだが、今日は空腹時血糖値を診るので朝食抜き。

 病院が殊の外空いていて11時をやや回った頃には歩いて帰宅。この間に娘が済ませておいた算数ドリルを帰ってすぐチェック。設問数50というのが多すぎるのか、ふと気が抜けたような思い違いが2、3ある。

 その後、窓を開けて朝ほっぽらかしだった蒲団上げとベッドメイクを済ませ、前夜分別・セット済みの洗濯機を回しながら食器洗い。晩酌(といっても缶ビール1、2本)すると、片付けて湯に浸すのみで洗うのは翌朝ということがままある。
 洗濯物を干し、12時過ぎ昼食。娘にじゃこおにぎりとゴマ塩おにぎり、一番人気の卵焼き、トマト、ウインナー、煮物の人参・大根・ジャガイモ。最近、少し食が太くなってきた。私は、おじやと煮物。

 新聞読み、少し休んでPM2:00、娘と近くの公園へ。縄跳びや雲梯を見守り、追い駆けっこも。娘が最近チャレンジしている側転のお手本を試み、愕然。何とか形はでき、褒められたが、体重を支える手が震え、いまにも崩れ落ちるかと。二重跳びも出来なくなっていたことといい、またまた老化を実感する破目となった。失くして分かる「若さ」、なかなかなくならない「馬鹿さ」。ミッションが一つ増えた。

 3時帰宅。娘におやつを与え、風呂掃除。一夜にして水垢が目立つのは、水が悪いのか?
 続けて、朱蒙を録画しながら掃除機かけ。
 さらに、半乾きの洗濯物を乾燥機に放り込み、米を研ぎ、夕食の支度へ。
 支度しながら、もう10年以上は昔に通販で買ったCD集「想い出のテレビ黄金時代」を聴き返す。全240曲余、往時の感興がしみじみ蘇るオリジナル音源がミソ。子供向けのかなりを網羅したほか、青春もの、ホームドラマ、刑事もの、アクション、時代劇等々。ここで初めて知った佳曲も多い。いま聴いているアルバムには「雲に向かって起つ」(藤木孝)、「あしたの虹」(石原裕次郎)、「桃太郎侍」(三波春夫)、「恋の綱わたり(離婚ともだち)」(中村晃子)、「ザ・ガードマンのテーマ」、「非情のライセンス(キイハンター)」(野際陽子)、「ひとつの地球に生まれて(飛び出せ青春)」(村野武範)などが収録されている。
 また前回のブログでふれた「太陽野郎」の入ったCDには、「若い明日・貴様と俺(青春とはなんだ)」「これが青春だ」「でっかい青春」も収録されている。何れも布施明である

 夕食の支度に1時間半。自分の風呂は往々にして後回し。学校があるときは娘を9時に寝かしつける。私も最も眠い時間帯で、そのまま寝てしまうことも稀にあるが、大体は午前1時頃の就寝となる。
 いつもこんなという訳ではないが、これに近い日常が頻繁に繰り返されるのが最近の動静である。無論、このままではないだろう。そのうち大分簡略化効率化されていくだろう。家を空ける機会も増えるだろう。
 
 以上、日記ブログではないが、最近低調(量も、質も?)との指摘も一部にあるので、なかなか時間を割けない、思うに任せない事情の説明に及んだまでである。
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何年ぶりかの黒沢博

2012/03/28 16:26
 なにげなく点けていたTVに、黒沢博が出てきたので驚いた。
 ヒロシ&キーボーのヒロシ、私の贔屓の黒沢年男(現年雄)の弟。横浜の方で商売をしていると聞いていたが。
 トリンドル玲奈と一緒に出ているのは、ソフトバンクモバイルのキャンペーンCM。「三年目の浮気」のパロディー替え歌がフィーチャーされている。

 さすがに、人の良さそうな嘗ての童顔に年齢は隠せない。私より4歳上である。若尾文子から小林旭まで、カネに飽かしたあざとさも感じる同社のCMだが、翳りも衒いも見せず屈託なさそうに唄う姿に、思わずにっこりする。

 持っている「想い出のテレビ黄金時代」というCD集に、寺内タケシとバニーズの「太陽野郎」が収録されている。メロディーは全部、詞は半分ほど憶えている。岩谷時子作詞、いずみたく作曲。黒沢はボーカルとリズムギター。甘めの声とハーモニーが軽快なエレキサウンドに乗る。
 
 世界の寺内タケシは本邦初の本格的エレキバンドだったブルージーンズ脱退後、このバニーズを結成した。GSに振れていて、「青春をかけて」(シングル盤を持っている)「愛のリメンバー」という佳曲もある。寺内タケシは1966年結成(71年解散)のこのバンドを69年に去り、エレキに回帰。第二次ブルージーンズを率いて原点ともいえる民謡やクラシックをはじめ幅広いジャンルをカバーしている。
 ブルージーンズには加瀬邦彦、バニーズには後の大石吾朗が参加していたことは知っている人もいることだろう。

 ちなみにこの「太陽野郎」は同名のTV(TBS)主題歌。夏木陽介が「青春とはなんだ」(NTV)に続いて主演した青春ドラマとあるが、放映されたのは大学1、2年時。殆ど見た記憶がない。
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 写真は中央が黒沢、右が寺内、その前が寺内の後のリーダー荻野達也。黒沢の後ろが個性的なドラマーで、太陽野郎では曲間にウッ、アッとブーガルー的掛け声を発していた故井上正氏。
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驚くには当たらないのだが、高額契約金問題。

2012/03/22 13:35
 1993年、プロ野球選手ドラフトにおける「逆指名制度」が導入された。江川空白の一日事件、また西武ライオンズによる練習生・球団職員採用を介した選手獲得や系列ノンプロを受け皿とした選手囲い込みなど、“あなた買います”の体質そのままにあの手この手の謀術が乱れ飛ぶ契約のあり方を是正するのが狙いだったはずだ。
 契約金は1億円、出来高払い(翌年導入)が5千万円という「最高標準額」、球界言うところの“緩やかな目安”は、この時申し合わされた。独禁法抵触を懸念しての“緩やか”だったという。

 しかし、とりわけ限られた有力選手の争奪を巡って、この制度は機能せず、却って金権が幅を利かす結果を生んだ。
 2004年、明大・一場投手へのいわゆる栄養費・小遣い提供で、東京読売の渡辺恒雄オーナーはじめ阪神、横浜のオーナーが辞任に追い込まれた。
 これを受けて05年6月、アマチュアへの利益供与を禁止する「プロ野球倫理行動宣言」が採択された。
 だが07年になって、西武が採択以降も金銭提供を行っていたことが発覚。西武はかねてから高額の契約金を支払い続けていたこともやり玉に上がり、時を同じくして那須野投手(05年入団)に5億3千万円の契約金を支払っていたことが明るみに出た横浜ともども、日本野球機構から厳重注意処分を受けた。
 そして同年秋、契約金1億円・出来高払い5千万円を「上限」とすることが申し合わされ、自由獲得枠制度、希望入団枠制度と名を変えてきた逆指名制度もこの年のドラフトから撤廃された。

 こうした流れでみると、今回朝日新聞が名前を挙げた6選手の契約は上限申し合わせ、さらには倫理行動宣言採択以前のものであり、読売側が使う違法という言葉は大げさとして、とりあえず違反ではないと強弁することは可能だ。しかしそれでは、合わせ技の西武はともかく、横浜に対する処分は何だったのか、読売はそれとどう違うのかということになる。

 兎にも角にも今回の一件の最初の感想は「え、まだそんなことやってたの」だったが、渡辺オーナー時代のこととなると、「別に驚くには当たるまい」となる。
 なにしろ「ドラフト制度は憲法違反、独禁法による競争制限」が持論の渡辺氏であり、彼の指揮下で恫喝的・なし崩し的な実質逆指名を通して憚らない球団である。目安が目安でも何でもなくなる6倍以上の大金を払っていたとして「何か問題が?」と言えるのだろう。例え、まずいことにならないよう表に出すなと念押ししていたとしても。
 また、目安というのが全体の申し合わせだったと擁護する球界の体質も、場当たり的な処分のあり方と併せてやはり「今更驚くにはあたるまい」というところである。

 だから「この時期に、この大きな扱いは?」という疑問が次に来るのだが、新聞報道たるもの、知って書いたその時が(ニュースにとっての)時期には違いない。どこからネタがと騒がれている部分には私は興味がないし、朝読戦争という捉え方もピンとこない。消費税導入で共同歩調を取る両紙にして原子力を巡っては片や「脱」、片や「産業界のためにも安全保障の観点からも開発堅持」という溝の深さから抜き差しならない対立関係に―とでもいうのであれば、まだ関心が湧くが。朝日にとっては、05年以降は本当にこうした裏金は存在していないのか取材を続けることが求められよう。

 そしていま思っているのは、この一件で端無くも浮き彫りになる「報道のあり方」についてである。
 「野球ファンに対して不誠実」とする朝日の報道スタンスは相変わらずというところ。
 これに対する読売の反応は―。
 いまや老人と子供的取り扱いの渡辺会長の「それ以上やると人権侵害」「泥棒だな」「ほかに誰がいる」「朝日の品位が大きく下がった」といった発言は失笑ものとして、球団の抗議文
は名誉、プライバシー、営業妨害と、ややピントのずれた表現ながら十分威嚇的だったが、ヒステリックのきらいは否めない。これに対する朝日のコメントは予想通りだった。
 読売新聞は清武問題の時と同様、またミスターを引っ張り出して(引っ張り出した形で)、選手が傷つくという立場から朝日の報道を今更と批判させた(形にした)。これは逆効果の方が大きかったろう。自身が契約時に南海との経緯があり、また名前が上がった選手の入団時に監督でもあったミスターだが、本人のジャイアンツへの帰属意識がいかに強いとはいえ、また例え読売側が彼を社員あるいは駒の一人としか考えていないとしても、もういい加減こんな形で代弁者として利用するのは止めたらどうかというのが、大方の見方ではなかろうか。

 これからが実は一番言いたいところだが、全体として読売の過剰反応ぶりが目立つ中で、球団の抗議文をよく読むと、正論であり傑作でもある一節がある。
 ―報道に当たっては相手方の主張を踏まえ、取材結果の正当性をあらためて吟味しなければならない。自らの取材結果と異なる場合、相手の主張を単に併記すれば足りる訳ではない。(朝日の)表現・見出し・扱いは、(こちらに)極めて問題が多く、社会的批判を受けることがあたかも当然であるかのように誤導するものであり、名誉を著しく貶めるものである―
 言われた朝日も、言いも言ったりの読売側も、その他のメディアも、この一節をよくかみしめる必要があるだろう。自問すべきだろう。このところ、そんな報道の自殺行為に血道を挙げていなかったかを。
 
 
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久しぶりの遠出(遠くはないが)

2012/03/11 23:27
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 数日前、俄か陽気に誘われて約4カ月ぶりに独り新幹線に乗った。
 仙台の街から出るのも、暮れに家族で秋保温泉に行って以来のことだ。尤も、秋保も仙台市内(太白区)ではあるのだが。

 逆単身生活の2年半の間に、東京−仙台を新幹線で100回以上往復した。
 専ら何か読むか転寝の片道2時間だったが、いつ頃からか、ある風景が気になり始めた。
 それは、福島市街地を外れ、田畑に囲まれて宅地が点在する平地に忽然と姿を現す。
 静かに聳え立つ偉容。その巨大さすら圧倒する、滅びの美学を纏った佇まい。その孤高の存在感の周辺だけ、別な緩慢な時間が息づいているかのようだ。

 初め、闇夜に浮かび上がるベイツモーテルを見るような鳥肌立つ思いに捉われた。
 次いで、昭和的サスペンスや日活的アクションの舞台―そんなものが撮られるなら―としてロケハンの好適地ではないかと考えた。よく聴いている懐かしのTV主題歌「少年探偵団」や「豹の眼」とも容易に結びついた。
 さらに見慣れるにつれ、単純に懐かしい思いが湧き上がるようになった。そういえば、鹿児島市に住んでいた小学生時代、家から繁華街に歩いて行く道すがら、こんな工場があった。確か澱粉工場だったか。仕事で行った旧小坂銅山の工場通りも同じ雰囲気だった。映画で見るスコットランドの炭鉱町にもこんな建物があったはずだ。
 そして、いつか訪ねてみようと決めていた。
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 福島で、このあたりでは新幹線とほぼ並行している東北本線の下りに乗り換える。一つ目の東福島駅よりかなり先というのは予て分かっていたので二つ目の伊達駅で下車。新幹線は200bばかり南側の高架を走っていたため駅の存在に気付かなかったらしい。それは駅の北側に金網越しに隣接する製鋼所の建物であった。

 どこか俯瞰できる場所はと見渡しても見事に何もない。平屋かせいぜい二階家、あとは畑地か空き地、駐車場。駅の小さな跨線橋が一番高いぐらいである。
 そこから正面を何枚か撮った後、建物近くに寄ってみることにした。かなり歩いて線路を越え、いくつかの町工場の脇を抜けて、製鋼所の通用門に出た。昼休み時の所為なのか、敷地内に人気がない。しかし駐車場には何台も車があり、守衛所にも人影があった。さりげなく敷地に入り、手早く2枚ほど撮影して軽く会釈しながら退出する。
 しかし、ここはまだ側面。裏側からも見るべく農道を辿る。歩を重ねた甲斐あって、幸い畑の一角から印象的な姿を目にすることができた。
 建て増しを重ねた様な建物が供用されているのかどうかは分からない。内部に天井クレーンがあるのか?圧延装置があるのか?鋼板が積み重ねられているのか?しかし、使われないまま古色蒼然たるこの大きな建物がそのままに打ち捨てられているとは考え難い。

 新幹線から眺めていた風景と近寄って見上げる風景には趣を異にする面もあり、そこは些か拍子抜けの体もあったが、足を運んだだけのことはあったと思う。
 家を出てから4時間、そのうち延べ1`半ほどはカメラを抱えて歩いた久しぶりの取材行?にそれなりに充足しながら、帰途に就いたことだった。

 ちなみに、新幹線下りでこの風景を左側に見て1、2分後、今度は右手を見ると、聖光学院高校の野球グラウンドが間近に見える。日没後は夜間照明の下で練習に励む姿を見ることができる。
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ダルビッシュ、緊張はあってもさすが。

2012/03/08 08:25
 ニュース映像を見ただけでなんだが、ダルビッシュ有投手オープン戦初登板の素人寸評。

 さすがの彼も先ず結果を求めたのだろう。セットポジションで投げたこともあり、躍動感より慎重さを感じた。
 
 三振を取ったスライダーは、手先で置きにいった感じ。カウント球として見るならいいコースだったが、決め球としてはやや高い。もっと腕を振ればさらにキレるだろう。

 2三振を取ったフォークはよく落ちていたが、まだ打者の目が慣れない段階。ストレートとのコンビネーションについては本人が一番分かっていることだろう。

 そのストレートはMAXではなかったとはいえ、高めにいきコースを誤ると食らってしまうこともほぼ想定内で実感したことと思うし、どんな配球でどこにどう投げれば空振りが取れるかも理解し始めたと思う。

 カットボールを含めいくつもの球種をあまり見せることなく、2回2安打3奪三振無失点と一応の結果を得た意味は小さくない。今後さらに調整を進める上での修正点や留意点も体感したことだろう。勝負はまだまだこれからだ。

 最後に、高いバウンドのゴロをさばき三・本間でランナーを封じたフィールディングはさすがだった。
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いろいろあるDeNAベイスターズだが

2012/03/05 13:12
 3日の東北楽天対横浜DeNAオープン戦。楽天の攻撃不在は予想通り。アーリーワークは
大いに結構として、ベンチに攻略戦術、得点戦略・工夫が見られない。ヒットが出んのやからしゃぁないやろ、と星野監督は言うかもしれないが。
 一体、お気に入りは分かるが本気で牧田を4番で使う積りなのか?
 これも同様、バッティングの形が悪い鉄平を使い続ける積りか?
 今季の三塁手は、身体は少し絞れたが突っ込み過ぎでしかも一塁側にも身体が倒れるため、振ったところにボールがこない限りミート出来なさそうな岩村なのか(4日の試合では本塁打が出たようだ)?フェルナンデスなのか?1億円中継ぎ投手(先の二人と合わせお気に入りトリオと見なしている)の4分の3の年俸提示に腹を立てた高須は用無しなのか?

 楽天の話はここまで。本稿の主題はDeNAである。

 この試合ベイスターズの選手たちとベンチを、いい緊張感と一体感が支配していた。中畑監督も広告塔役とは打って変わった真剣な表情で友利投手コーチとしきりに言葉を交わしていた。石川、荒波、梶谷、内藤、藤田、黒羽根―鍛え、競わせればより大きく育ってくるであろう人材は少なくない。国吉含め投手陣もまた然り。
 成功体験の乏しさと若さゆえ、調子とモチベーションの波、そしてその落差は大きいだろうが、そこはいい経験を積んでいくしかない。
 チームカラーがどうなっていくのか―西武のように今時の若者風なのか、ホークスのように貪欲直情型か、いずれも高田繁氏がコミットしたスワローズやファイターズのような堅実型か―は分からない。だが高田GMのこと、真面目なチーム作りが進められていくことと思う。
 いずれにせよ、新生チームの前途には程度の差はあれファンの関心が集まる。
 
 しかし、渡辺恒雄氏の舌禍騒ぎや楽天の強硬な反対などすったもんだの末の買収劇だったとはいえ、チームが船出したこの期に及んで未だに参入資格をネガティブに云々する声が上がるとは。
 何日か前の朝日新聞スポーツ欄のコラム。私にはいま一つ論旨が分かり難かったが、GREEとの間で係争中の著作権問題でDeNA側に盗用の判決が出た(控訴)ことを捉えて、「だからご都合主義的な承認のあり方ではいけないと言っておいたではないか」と、オーナー会議を含めた球界のいい加減な姿勢をあらためて指摘したかったのかと思う。DeNAに対しては企業倫理上の問題に加え、大した補強もしなかった動きと絡めて企業PRだけが目的ではという疑義も呈している。

 私はモバゲーというとテレビCMでしか見たことがないし、携帯ゲームの遊び方も知らない。熱中する人の気が知れないし、この世にないと困るものとは勿論思えない。それで商売しているという会社に特段の関心もない。
 それでも、他人の道楽や、携帯ゲーム人口が相当数に上るという世相に文句をつける積りはないし(自分の小遣いでやっている限り)、その配信で成長を遂げている企業の存在を否定しようとも思わない。需要があるから成り立っているのであり、資金を有し其々の狙いを持ってプロ野球球団経営に乗り出して来るプレイヤーの中にそうした成長企業が顔を出してくるのも自然な流れと考えている。
 だから、「子供に有害な携帯ゲーム」という熱烈横浜ファン・やくみつる氏の見方自体には共感するものの、それで儲けている企業を球団オーナーとして認めないとかファンをやめるということには、私の場合ならない。なければないでいいと思っている携帯電話の会社であるソフトバンクや、虚業でのし上がったと見なしている楽天を否定しないのも同様の立場からである。

 敢えて言わせてもらうなら、参入資格とか球団を長く保有する気はあるのかとか、宣伝目的なのかといったことは、私にとって「たかが野球」の範疇。「されど野球」の部分で感興やカタルシスをもたらしてくれることがそれを凌駕するということだ。

 盗用問題は確かにコンプライアンスの面から企業ひいては球団の存立を脅かしかねない危険を孕んでいる。だから、明日は逆の立場にもというこの業界につきものの問題の範囲に収まるようならという条件付きにはなるのだが、それでも現段階でDeNAに球団経営の資格なしと断ずることが妥当とは思えない。
 
 そもそも、興業世界の側面を持つプロ野球界の現実を見ながら、参入資格としてどんな線引きができるのだろうかと考えると悩ましい。現在のオーナー企業全てに問題なしと言えるだろうかと考えると、さらに難しい。
 長い球団史を営々と築くに越したことはないだろうが、プロ野球界の長い歴史は一面において離合集散と消長の歴史でもあった。映画会社が不動産業がディベロッパーがライター会社が放送局が、参入しては退場していった。それはスポーツマスコミにとって格好のネタだったが、一般の多くのファンにとっては母体はどうでも、贔屓のチームと選手が変わらず目に出来るのということこそ関心事だったと思う。無論、経営母体の撤退でチームが分解することもあるのだし、サラリーマンとして支えてきたスタッフや裏方にとっては一大事ということも忘れる訳にはいかないのだが。

 DeNAをネガティブに論評することは、さほど難しくないだろう。居抜きで買い取り、ベテランの雇われ店長に任せて実入りと宣伝効果を待ち構えているだけと言われるかもしれない。億円選手がかろうじて3人、トレーナー人数も削減、シブチンと言われても仕方ない。会見で高田GMや中畑監督と並んで座る球団社長は二人の子供ほどの年齢の若輩で、秘書に見える。大丈夫かいなと思わせる。

 しかし前述した通り、戦いぶりと結果に全てが帰結する。いい試合を続ければ、カネにあかせて大物を取ってこなくとも育成に力を入れればいいんだよということになるし、元々恥じるべき目的とは思わない宣伝効果も静かに浸透していくことだろうし、高田氏を引っ張ってくるところが若造偉かったということにもなるだろう。
 ただし、ふがいないプレーが続けば、所詮は腰の据わらないバブリーな素人、球団経営なんか初めから無理だったと、いいときの何倍ものダメージがオーナー企業に振りかかり、宣伝どころではなくなることを忘れてはならない。
 繰り返すが、グラウンド上の動きがほかのことを凌駕する、そういう観点で、しばらくベイスターズを見てみようと思う。
 
 
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パラレルなパパ

2012/03/03 14:23
 桃の節句。
 毎週のこととて、娘の音楽教室に同行。前日積もった雪の厚さ。仙台のこの冬一、二か。

 昨日の午後、あっという間に吹雪き始めた。
 娘は折り畳み傘を持って出ていたろうか?置き傘があったろうか?取りあえず迎えに出た。
 小学校までの中間点を過ぎたあたりで、道路の反対側に姿を見つける。やはり傘はない。ランドセルと体操着袋を背負い、背を少し丸め、パーカーのフードを目深にしながら、降りしきる雪を突いて黙々と歩いている。
 何かの時のすれ違いを危ぶんで、必ずこの道を通るよう言って聞かせてあった。

 二度目の呼び掛けで気づいた。こちらに向けた顔がぱっと輝いたのが判った。
 横断歩道を渡ってくる足取りが弾む。「来てくれると思っていた」という。子供特有の媚びではなく真情と思えた。
 家では何か始めるとロクに振り向きもしないが、一緒に歩くとほぼ喋り詰めである。

 身の内に籠っていたもやもやが一時晴れた。

 人生残り十数年、これでいいのか?自分で自分の為に自分らしく生きるため、勤め人でなくなったのだが…
 このところ新聞の訃報欄が気に掛かる。
 「ナショナル」の泉大助氏84歳、幼少の頃TVで見ていたスマートな大人。存命でいらしたのだな。
 モンキーズのデイビー・ジョーンズ、私と5歳しか違わなかったのか。
 
 旧い名画をTVやDVDで観ていると、「パラレルワールド」という言葉が思い浮かぶ。
 そちらの世界ではまだ、思わず涙が滲むような底抜けの青空と緑なす大地、静寂のデザートトレイルを悠久の時が流れているのか?リッキー・ネルソンとディーン・マーティンが「ライフルと愛馬」を唄っているのではないのか?いや、唄っているのは小柄でシャイなガンマンの私ではないのか??

 後ろ向きと言われれば、そうかもしれない。

 彼らの如く記憶や記録やフィルムに名を残さずとも、娘と家族との日々を尊び、その胸に生き続けることこそ最高の幸せということも、よく分っているつもりだ。

 だがしかし、である。それはそれ、である。

 時や春、蠢動から胎動へ。
 汗流してなんぼ、身体動かしてなんぼの自分を、いま一度。
 パラレルな私である。
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言うだけ番長の底割れ乱心―「無責任」「排除」民主党執行部の本質を体現

2012/02/26 12:21
 「言うだけ番長」というのはその昔、前田日明が長州力に発した言葉。「番長」は偉そうにしていることに対する揶揄だろうが、そうしたプロレスというドロドロした世界での感情のもつれの挙句の話ならともかく、同じ代名詞で口ばかりの男と公に謗られれば、誰しも怒るには違いない。

 それでも前原民主党元代表・現政調会長の今回の産経新聞に対する記者会見出席拒否は、やはり幼稚でKYで身の程知らずである。

 先ず、「言うだけ番長」という片言隻句を捉えた挙とすれば浅薄である。その表現だけでなく、このところ続いた批判・非難の論調に憤懣を募らせた末の行動とすれば狭量である。
 これしきのことで「ペンの暴力」と喚き立てるようでは、小沢氏の如く産経のみならず大手メディアに挙って徹底したパージシフトを敷かれるような状況になれば到底持ちこたえられまい。選良?たる資質を問われる仕儀となろう。

 そもそも口先男やお子ちゃまといった批判は、産経新聞以前から、同じ国会議員である田中康夫氏が日刊ゲンダイ紙上で繰り返していたのだが、これに対し政経塾で磨いたディベート術なり駆使して反撃に出るような動きもなかった。(見てみたかったが)
 だから、何で今頃?何を言っても捗捗しい反応が得られなくなり地盤沈下が否めない現在の己が姿に苛立ってか、ということになる訳なのである。

 そして何より―自覚がないから怒ったのだろうが―「言うだけ」と言われて当然の言動を積み重ねてきた。
 国交相就任直後打ち上げた八ッ場ダムの建設中止と他の大多数のダム事業の凍結は、その後中止の中止に立ち至り、政調会長として「継続する国交省予算は党として認めない」と取って付けたように抗ったが、結局うやむやに。
 JALの経営問題では、当初主張していた私的整理がいつの間にか引っ込められ、法的整理を容認することになった。
 外相として直面した中国漁船衝突事件では、早期釈放には応じないと威勢よく述べていたものが、那覇地検判断というおかしな理屈でさっさと釈放されることになったことに何の問題もないような顔をしていた。
 消費税問題、公務員給与削減問題etc.曖昧に尻すぼんだり、迷走しきりであったり、責任を口にすることもなかった事例は枚挙に暇ない。

 一見筋論かのような、改革派めいたことを妙に歯切れよく言ってしまうから、その後の腰砕けとの落差が際立つ。原子力、東電問題をはじめ「言うだけ」2号の資格十分ながら、官僚的周到さと小手先の弥縫策で巧みに批判をすり抜ける現経産相と好対照である。
 今回の一件で、報道・表現の自由で団結した格好のメディアに対して、日頃の閉鎖性や翼賛的動向、報道そのものの劣化を痛感する立場としては、片を持つ積りはさらさらない。
 ただ、誰も責任をとらないばかりか、とことん議論するより排除を選択するセクト主義的な現執行部・塾上がり政治家の本質を体現し、改めて知らしめることになったことは、今後の政局の奇禍とすべきだろう。

 それにしても、現政権を利用するだけ利用しようとする勢力の一翼である産経が、親米防衛族として掌中の珠たる前原氏に愛想を尽かすとは、余程危なっかしさを覚えたのだろう。足手まといとすら感じているのかもしれない。
 これで、万一民主党政権が現状維持されれば、次の総理は現副総理か経産相かということになるのだろう。1人が脱落したものの、残ったどちらがなろうが消費税増税シフトには変わりがない。
 ムーブメントを待つや切である。
 
 
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OB会と非現役感

2012/02/16 23:12
 大学時代に所属していた軟式野球部から、OB総会の案内が届いた。暫く前まで住所不明者リストに入っていたはずで、その後転居もしたが、誰かが部の方に知らせてくれたらしい。

 今回は創部(創立)50周年記念総会ということだが、これまでOB会や同窓会といったものに出席したことがない。今回も欠席するだろう。旧交を温めるに如かずではあるが、その場で囚われるであろう「非現役感」から逃げたいからである。

 今年が50周年ならば、私が入部した(昭和47年)のは創部11、12年目だったことになる。
 いまは体育会になってもう10年か20年になり、現在、私の2学年上で母校の文学芸術院教授を務めておられるO先輩が会長職にある。
 O先輩も私も文学部。当時、文学部生の部員は数えるほどだった。O先輩は雀荘でも酒場でも姿を見ることはなく、練習・試合も、そして間違いなく授業も皆勤。大学院に進み、キャリアを積み、母校に戻って要職を歴任してこられた。おそらく、私が最も見習うべき姿だったのだが、私が歩んだ道はほぼ正反対だった。

 私が部員となった40年前当時はまだ同好会で、部室もなく、正門近くの運動具店が集合場所だった。
 当初はラグビー部へと考えたが、高校で未経験の部員も私のように身長に恵まれない部員も少なくはないと知りつつも踏みきれなかった。といって同好会ラグビーにも気が進まず、同じ同好会なら、まだ慣れ親しんだ野球の方がと軟式野球同好会を選んだのだと思う。
 顧問格だった運動具店店主のお姉さんで、元は芝居をやりかけたという方からは「あぁた、こんなところより、この辺にたくさんある劇団サークルの方が向いてると思うけど」と言われたことを覚えている。田舎出の紅顔の美(?)少年に向けられた科白かと思うが、キョロつく眼にさぞや青臭い憧憬や飢餓を湛えていたのだろう。

 とまれ、当時体育会には硬式と準硬式しかなく、軟式では同好会が十指に余るほど乱立していた中からL号軟式野球部(現在はA号軟式野球部)を選択をしたことは正解だった。
 私と違って高校でしっかりやっていた仲間も多く、レベルは高かった。練習は皆真面目で緊張感に満ちていた。4年生は怖かったが、3年生がよく面倒を見てくれた。1年間は、トンボをかけ、ベンチから声を張り上げるだけの為に府中や立川での試合に通った。
 六大学軟式野球リーグ戦では、体育会の各校チームに伍して、私の在学中も何回か優勝した。東都六大学リーグの優勝校との王座決定戦でも勝ったことがあり、同好会に負けやがってという応援団の叱声も何度か聞いた。
 私が卒業して何年か経ってから有力校の高校球児の入部も増え、体育会に入るまでの実績を重ねてこれたのは、自由と主体性を重んじる部の伝統あればこそと思いたい。

 私は遂にバリバリのレギュラーは張れなかったが、もっと試合に出たい、上手になりたいと思い続けていて、勤め人になってからは社内チームで少しずつその渇望を癒しつつあった。しかし四十歳ちょっとで訳あって止めたので、納得感はない。
 だからか、当時の草野球仲間からチームの現況や最近の試合の模様などを聞かされると、疎外感を覚えてしまう。ボールを握らなくなって15年経っても、右肩が五十肩でも、腰痛に悩んでいても、まだ現役引退した積りはないらしい。大して走れも投げれもしなくともグラブを手にすれば、バットを持てばと心のどこかで思っているらしいのだ。

 大学の我らが部には50年で400人近くが集まり散じたということだ。案内を見るとこのうち90人ほどが連絡先不明らしい。私の知っているだけでも5人ほどが既に故人となっている。部との関わりを葬りたい人も何人か知っている。
 私としては、OB会に出て旧知の顔を見るのはいい。しかし、日頃からチームやOB組織に関わっている訳ではない私は、只の非現役、名簿に無ければ部外者ではないか。大勢の知らない顔とどんな話をすればいい?「花の応援団」のOBと間違えられた小尾さんのように挨拶を受けて歓待されていればいい?
 現役連中と張り合おうとは流石に思わないが、といって気後れを隠して近年の隆盛を称賛しようとも思わないし、俺の頃はこうだったと懐旧談を語りたくもない。社会や仕事の話をしようとも思わない。せめてまだ草野球のチームでやっているのであれば、枯れた境地の(ような)述懐も出来るのだが。

 仙台から戻って内勤になってからめっきり覇気を欠いたのも、衰えたりと見られたのもこの「非現役感」の為せる業だったと思っている。
 話が飛ぶが、余計な事を考えずにゴルフに興じることが出来るのは、非現役感を伴わないから、身体が動く限り現役でいられるからではないだろうか。

 長々語ったが、結局のところ、私が大人げないのだ。大人になりきれないのだ。
 
 恥かきついでに聞いてくれ。
 OB会で感じる非現役感は、なんとはなくだが分かった。では、同窓会ではどんな非現役感を覚える(だろう)と言うのだ。何の現役じゃないと。

 恥かきついでに答えよう。「青春」の非現役感さ。
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太平シローの悲哀

2012/02/13 11:16
 太平(大平)シロー、享年55歳。4歳も年下とは思わなかった。それだけ、活躍は昔のことである。そして束の間の輝きだった。

 天賦の才が備わっていたのは確かだ。多彩なボケの引き出し、変幻自在な間の取り方、台本とアドリブの境も知れぬライブ感。
 器用で俊敏な相方サブローは浜村淳や横山やすしらのモノマネが得意だったが、シローもこれに張り合うように西川きよしや竹村健一、板東英二らのモノマネをこなした。必ずしも似ている訳ではなかったが、特徴の捉え方と表現が独特で、説得力と面白さで引けを取らなかった。ここにも天才が窺えた。二人の今いくよ・くるよのモノマネも面白い。
 
 コンビ結成は76年、彼らが二十歳のとき。シローは、器用なサブローのツッコミが予定調和に陥らぬよう、あまりネタ合わせや稽古をやらなかったという。二人同年齢だが、「彼のお陰で世に出ることができた」とサブローが述懐するように、また一時期、シローの厳しさに耐えかねてサブローが失踪したこともあるように、明らかにシロー優位のコンビだった。
 ちぐはぐでノリの悪いステージもあったが、ハマったときの支配力・破壊力は高かった。悪いときとまずまずのときの映像をYou Tubeでそれぞれ見ることができる。

 彼らが活躍したのは80年代。88年に吉本から独立して上京した。
 往々にして天才は破綻と背中合わせ。独善、気儘・気ムラ、非常識、不義理、無責任、エキセントリック―辞めた吉本の圧力で徹底的に干されてから、こうしてネガティブに受け取られるようなシローの側面が露呈するようになり、92年にコンビ別れに至ったと言われる。後にシローは再結成の意欲も示したようだが、吉本に復帰してやっとポジションを固めつつあったサブローが応えるはずもなかった。

 サブローが復帰できたのは、さんまら有力芸人の後押しがあったことと、吉本に膝を屈し滅私奉公したから。後押しがあったのは愛される気質と人徳があったからと、言えば言えるのだろうし、テレビ向きの器用さが活動に幅を与えて、現在の微妙だが軽くはない地位を築いた。

 シャイでプライドが高く気難しいところのあったシローは、そういう訳にはいかなかった。
 参院落選などを経て最終的には吉本復帰(99年)ということになったものの、コンビの引きや後押しのようなものはなく、太平一門の後輩と組んだ漫才でもピン芸人としても輝きが戻ることはなかった。シローが引っ張ったコンビだったが、シローにとってもサブローという相方あっての輝きだったということである。似た例はいくらでもあるが、漫才というコンビ芸ゆえの悲哀といえよう。
 あと10年待てば干されるどころか積極的に東京進出を後押しされたものをと思うが、時代の波に先んじてしまうのも乗り遅れてしまうのも世の常と言うしかない。
 興業社会で、そしてまたしても人事の世界で頂点を極められなかった才能に合掌。
                           (芸人として敬意を表し、敬称略しました)

 
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求人票

2012/02/09 11:56
 ハローワークで職業相談に臨んだ。
 
 ハローワークには、職を探す人と雇用保険の給付を受ける人が来る。重複する人、即ち給付を受けながら職探しをする人が多数派だろう。
 私の場合は当面、受給一本。勤めを続ける気なら、法外な時給が得られる元の職場に居続けただろうし、どうしても仙台に新たな職をというであれば、もっと早くに戻って来ていた。
 余程のことがない限り再度のサラリーマン生活は考えられない私にとっての職業相談は、保険給付の認定をうけるために必要な求職活動履歴の一つに過ぎない。

 だから、担当者とやりとりしながら衝立越しに、経験・資格と職探しのマッチングや、希望職種に就くための資格取得とアピール戦略、適性判定、職業訓練校の活用といった具体的で前向きな話が聞こえてくると、肩身の狭い思いがした。
 担当者も心得たものとみえ、世間話に続いて現在の状況をひと通り確認すると、私の職歴と、編集分野で時給2千円以上×1日5時間のパートタイムという殆どありえない求職条件用紙を眺めつつ、「あなたの場合はコネ・伝手か、自営ということでしょうね」とまとめて早々に相談?終了となった。

 簡単に済んだことにホッとしながら、足を運んだ機会にと専用端末で求人情報を検索する。

 10台ほどの端末は、私で満杯に。ぶつぶつ呟いたり溜息をつきながら画面に見入る姿も目立つ。
 前記の条件で入力すると、当然の如く該当ゼロである。
 そこで、時給を千円とし職種を一般事務および管理・企画とすると、6件ヒットした。
 見るだけというのも何だなと考え、うち1件をプリントアウトする。
 留学やワーキングホリデーのサポートを行う企業で、職種はカウンセラーのアシスタント。海外にメールを送ったりするらしい。時給900〜1300円、10:00〜19:00の間の5時間勤務、自宅から徒歩10分、昇給はないが賞与に含みも。ということで、事情に疎い私から見てだが、悪い条件とは思えない。
 但し、60歳定年で延長ナシらしいので半年しか勤められない。それに求人票をよく見てみると、エクセルを使いこなせないと務まらないようだし、必須大書ではないが海外渡航歴やTOEIC700点以上も希望としてはあるようだ。仮にやる気になっても、無理そうだ。

 己のつぶしの利かなさを再認識しながら、35年も前、強力なコネのあった九州の準キー局を最終面接で大失敗し、テレビ朝日も日活助監督も黒沢プロも落ちて、「再留年する訳にはいかない」と、2月になってまばらになった学生課の掲示板の求人票を見上げていた日々を思い出してしまった。

 
 
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無体無益な打落水狗―田中防衛相擁護ではないが

2012/02/07 15:25
 「打落水狗=水に落ちた犬は打て」、あるいは似た言い回しで「溺れる犬は石もて打て」という言葉がある。
 水から上がって狂乱の余り人に噛みつくかもしれない。道義を解さぬ犬など助けることはない。そのまま溺れさせた方が為だ―というのが典拠らしい。
 ただ調べると、魯迅が使ったという「打落水狗」は、フェアプレイの意義を説く上で逆説的に使った表現であり、言いたかったのは「不打落水狗」、即ち失敗した者や弱い者にあえて攻撃を加えるべきではないということのようだ。

 だが当今は「人を排するに、逆襲を許さぬよう徹底的に完膚なきまでやるべし」の意が、ますます幅を利かせている。無理やり水に落とした小沢元民主党代表に対する執拗な攻撃もまさにこれであろうが、ここで取り上げたいのは小沢氏ではなく、袋叩き状態の田中直紀防衛相である。

 当選回数衆院4回・参院3回にして初の大臣就任とはいえ、大臣としての適性、政治家としての資質に欠けると言われても仕方のない体たらくではある。
 どれぐらい念入りな資料が準備されたのかに疑問はあるにせよ、官僚レクチャーをポイントを押さえて理解する能力がないのか、最低限知っているべきことを知らない。外務省をかき回した、小沢氏寄りの田中真紀子の夫ということで手ぐすねひく野党やメディアに対する自己防衛のための周到な備えもなかった。徹頭徹尾官僚作文を棒読みするか、必要最小限の文言を繰り返して木で鼻を括るかつての野田財務相の如き図太さもないし、何代か前の首相のように「そんなこと私が知るわけないでしょう」とはいかずとも「何から何まで知っているわけではありません」と開き直るか煙に巻く度胸もない。そして、今どう振る舞うべきかということにKYである。そのことは疑いもない。

 しかし、一挙手一投足を突き回され、野党の防衛相経験者らに基礎知識を得々と口頭試問され立ち往生する姿が繰り返しTVで流されるような「打落水狗」が、そのことで正統化されるとは思わない。

 そもそも、作文を我が物の如く暗記して大過なく答弁したとて、それは田中氏に比べればマシという程度のこと。防衛族の石破氏なら滔々たる答弁説明も可能かもしれないが、それにしたところで、新聞記者並の一知半解と言っては悪いが、格別の見識や理念に基づく深い理解を意味するとは限らない。しかも、石破氏でも知っていることと知らないことがある。知らないより知っている方がいいだろうが、いま知らない知識を身につけることなどアッという間である。知識の有無ぐらいで、水に落ちる側とそれを叩く側に分かれる道理などない。

 大臣が皆その道の専門家という訳にはいかないのなら、せめて信頼の持てる安定感のある言動が求められる?
 それも所詮は身のこなしレベルの話である。勝手にコーヒーブレイクを取るのは論外だが、官僚の振り付け通りに動くことでこと足るようでも困る。民主党においては、言いっ放しで尻切れ無責任の一団が一方にあり、他方、大臣就任とともに歯切れが悪くなり転向や変節とも取れる発言を為す多数の選良がいる。確たる目標も持たず政治家になることが目的だった人間が官僚に籠絡され操られるのもむべなるかな、というのが私の見解である。

 本題からやや離れるが、嘗てこのブログで当時の官房長官(現経産相)のことを「官僚以上に官僚向き。次官にもなれる」と評したことがあった。それぐらい歯切れのよい、自信に満ちて明瞭なコメントぶりで国民にも好評だったようなのだが、官僚以上に官僚的というのは、裏返せば官僚以上に性質が悪いということである。
 福島原発事故後毎日のように行われた記者会見で彼は繰り返した。「いま直ちに人体に影響を及ぼすものではない」
 それはそうである。火傷や毛が抜けるようなことがあるなら会見などしている場合ではない。問題は、しばらくすると問題が生じる可能性があるのか、いま直ちにではないにせよ将来にわたって安心していいのかということなのだが、この答弁ではそこを見事に曖昧にし、かつ無視している。

 野党含め議員諸氏やメディアに対して言いたいのは、明晰であればそれでいいというものでもあるまいということ。フラフラした答弁のあり様を繰り返し叩く暇があるなら、自信にあふれた優等生発言であってもそこに潜む矛盾に疑問の目を向けるべきだということ。
 なにより、打落水狗に血道を上げることで、基地移転問題をはじめ国が抱える防衛問題の論議が二の次となってしまうようでは本末転倒である。
 
 現在の防衛問題は、新旧の沖縄防衛局長の人品を見ればわかる如く相変わらず官庁の中でも二流である防衛省のみで打開できるものではない。首相の決断と舵取りこそ求められている。誰が大臣を務めても厳しい状況の中で、適材適所、最強と謳いつつ、人の良さと鈍感力だけが持ち味の人材を起用した野田首相の任命責任こそ問われるべきだろう。
 
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